父、会社やめるってよ(2)小学校から高校入学まで

前回は、会社を辞める決意をする上で、キーパーソンとなった「メンタリストDaiGo」「堀江貴文」について触れて終わりました。

 

今回は、私の小学校時代から高校入学にいたるまで、少し触れておきたいと思います。

 

小学校時代から高校入学


出生

私は1986年の秋に北海道札幌市のベッドタウンである江別市で産まれました。ダルビッシュ世代ですね。ちなみに師匠と慕うメンタリストDaiGoさんと同い年です。

 

小学校2年生の時に札幌市に引っ越し、小学校低学年時は、学習発表会などで主演を務めるなど、積極的な男児だったと記憶しております。

 

当時の小学校教育では、今の時代のように学習発表会では誰もが主役でマラソンやかけっこも順位を付けないという理解に苦しむ平等先進社会ではなかったので、目立つ奴は目立つって風潮でしたね。

 

勉強は?

勉強の方は熱心ではなく、小学校高学年になるにつれて塾に通う友人も増え、悲観的になるわけではないですが、「勉強ってつまんねぇな。」と思っていました。

 

勉強に興味が持てなかったわけですね。ゲームや野球に熱中していました。

習い事は?

習い事は、体操教室と絵画教室(主に水彩画)、サッカー、野球をしていました。こう見ると文武両道って感じですね。

 

特に、絵画教室に通っていたことは、後ほど私の進路に大きな影響を与えることになります。

 

中学時代

中学校に入り、初めて「偏差値」というものを知ります。定期考査の結果が一覧表になった偏差値表が通知されました。

 

この偏差値が「学力」としてその人間の戦闘力みたいなイメージを持つことになります。

 

そして相対評価の時代でしたので、期末には偏差値と授業態度などを統合した5段階の評価書が通知されます。

 

この頃から私は勉強に関しては「中より上」のポジションにいるくらいの努力で満足していました。

 

あらためて心理学的に自己を分析すると、『中より上』に位置するこが自分のなかで居心地のいい環境だったわけですね。「快適環境=コンフォートゾーン」をここで決定してしまっていたのかなと思います。これに気付けることってすごい重要だと思います。

 

偏差値も60には届かないが、平均点よりはまぁまぁ上って感じです。

 

通知書も満遍なく「4」と「3」が付くように。

 

幸いにも技術と美術だけは「5」でしたので、手先や想像力が少しは優れていたみたいです。

 

高校受験

中学校3年生の頃には進路選択の話があったはずですが、高校に進学しないという選択肢はなかったように記憶しております。必ず公立高校と私立高校を受験し、公立高校に行くことが大事である、という「常識」を疑いもしませんでした。

 

中学校時代の学力偏差値は55程度でしたので、市内の進学校にぎりぎり合格できるかどうかというところでしたが、いわゆる通知書による内申ランクが技術・美術・音楽・家庭・体育のおかげで高かったこともあり、筆記でそこまで点数がとれなくても十分に合格確率が高いことがわかったため、市内の進学校を受験することに決め、無事に合格できました。

 

振り返ってみると、何か目的があって進学校への進学を決めたわけではありませんし、進学した先のことなど、一切考えていなかったと思います。高校に入ったらどんな部活に入ろうかな、くらいでしょうか。

 

次回は、高校時代から大学進学まで記載したいと思います。

 

続く・・・

 

RYO

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